ひとつでは多すぎる。ひとつではすべてを奪ってしまう

思ったことを、思いついた順に整理しないで書きます。この混沌が僕なんです。
IMGP9835.JPG

とにかく、人生にはできるだけ多くの色んなものが必要である。どうせ死んだら嫌でもシンプルになるんだから。人生は複雑だ。複雑さに遊ぶことができなければ、人生は無闇に混乱する。

シンプルな人生なんて嘘。ただし、魅力的な嘘。そんな嘘に騙されないで、目の前の複雑な人生をしっかりと見つめてつかまえて手放さずに、その複雑さに堪えつつ楽しむこと。その姿勢はシンプルなんだけどね。

外山滋比古さんの「思考の整理学」を読んでいて思い出した。このエントリのタイトルにした「ひとつでは多すぎる。ひとつではすべてを奪ってしまう」という言葉。もとはアメリカのウィラ・キャザーという女流作家が書いた「ひとりでは多すぎる。ひとりではすべてを奪ってしまう」という言葉だそうだ。あまり1つのことに決めて、信じて、集中してしまうと周りが見えなくなってしまう。「見つめるナベは煮えない」という外国のことわざもあるそうだ。あんまり気にしてすぐフタをあけて確かめているとなかなか煮詰まらない、という意だ。これだめでもあっちがあるくらいの気安さがあった方が良いテーマが浮かぶ。だから「ひとつでは多すぎる」


齋藤孝さんのワークの中に偏愛マップという物がある。自分が偏愛しているものを思いつくだけ羅列してみようというものだ。毎年授業のはじめに自己紹介に替えて生徒たちに書いてもらっている。音楽が好きといっても洋楽とジャズではまるで違うし、洋楽でもドリーム・シアターカーペンターズを一緒くたにする人もいないだろう。一般的に趣味と言われてあがってくるものごとはあくまで最大公約数的な物で、本当はもっと細かな趣味や嗜好の選択の数々を僕らは毎日しているわけだ。


ライフハックに関するブログや書籍がこの数年たくさん出ている。アイデアを出すには?自分の考えをかたちにするには?の答えに「自分なりのフレームワークを持つ」「書き続ける」ことを上げる人が多い。記録媒体を1つに定め(アナログなノートが多い)内容は仕事も趣味もプライベートも、何かのレシートも説明書も全部前から順番に書いたり貼ったりしていく。最低限の手間で情報を蓄積していく。その雑多な状態が予想を越えた項目通しの結びつきを産んで新しいアイデアに結びつく。


小説やミステリでその仕掛けに驚く物がある。数々の伏線が最後にこう回収されるのかとその風呂敷の大きさとたたみ方の見事さに舌を巻く。


やらなかった経験はあんまり良い「肥料」にならない。痛くても恥ずかしくても悔しくても「やったという経験」が僕らの人生に彩りと深みを与える。のかも。フィジカルな体験って重要。


最終的には「視野の広さ」というか「思考の振り幅」が自分の器の大きさを決めるのだと思う。引き出しの多さ、アンテナの本数と感度、好奇心の強さ、興味関心の領域…。何がきっかけになって異質な物が結びつき、自分にとっての大きな知見に結びつくかわからない。


書いているうちに、なんだ、これは結局一ヶ月前に書いた仕事ってすぐにこれだ!ってきめられるものじゃないけれどそれはそれで不安だよね - 繭八庵@Hatenaの別の側面の話かもしれないと思う。
思考の整理学 (ちくま文庫)偏愛マップ―キラいな人がいなくなる コミュニケーション・メソッド