今日の短編(65) よしもとばなな「幽霊の家」

彼女の文章には、辞書を引かなければ意味がわからないような難しい言葉は(多分、ほとんど)登場しない。僕らが普段、話したり、書いたりしているのと同じその言葉たちが、とても素敵なイメージを、感情を、思い出を呼び起こす。「あ、そうだよね」とすっと心にしみてくる文章が多いのだ。そんな彼女のこれまでの作品の中でも、この「幽霊の家」は一番好きな短編かもしれない。

彼には不思議な、まるで真冬の曇った空のような中途半端な明るさと暗さがあり、なんとなくそれが私に、彼を好きになることをしり込みさせていた。若い恋にはとたも大切な、走りだしたくなるような勢い、高揚感、それがまったく感じられそうになかったからだ。

彼の気の優しさ、育ちのよさはいっしょに町を歩いているだけでよくわかった。たとえば公園を歩くと、風に木がざわざわ揺れて、光も揺れる。そうすると彼は目を細めて、「いいなあ」という顔をする。子供が転べば、「ああ、転んじゃった」という顔をするし、それを親が抱き上げれば「よかったなあ」という表情になる。そういう素直な感覚はとにかく親から絶対的に大切な何かをもらっている人の特徴なのだ。

でも、おばあちゃんが死んだときに思ったのだ。
お葬式には、おばあちゃんにいろいろ食べさせてもらったり相談にのってもらった、当時の若者であったおじさんたちがいっぱい黒いスーツで現れ、店でデートした話とか、失恋しておばあちゃんにエビフライを食べさせてもらった思い出とか、あれこれ語って帰っていった。
そうやって人の人生の、本当の意味での背景になるってなんてすごいことだとう、と私は感動したのだ。
店の備品も、毎日使って毎日磨いていると深い色を出すようになる。そんなふうに、毎日ただ店に出て、かわりばえのしない料理を作っていたはずのおばあちゃんの人生も、ものすごく深かったような気がした。

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

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