小林秀雄全作品から(7) 「ことばの力」

  • 「ことばの力」昭和31年(1956)2月「子どもとことば」に発表

どこの国の子どもでも、まず数学の記号を覚えてから、数をかぞえやしない。ことばによって数をかぞえて育つのである。この子どもの時のやりかたを、人間は、同じ言葉を使っている限り、大人になっても、おそらく脱却はできないのである。

聖書がいうように、「初めにことばがあった」のである。初めに意味があったのではない。意味も知らぬ言葉をしゃべるのは、子どもだけだ、とおとなはのん気に考えている。だが、もし私たちが、よく意味を知っていることばだけで、お互に話そうと決心したら、世界中の人々が黙ってしまうのであろう。知る前にしゃべるということが、人間がことばというものを体得する根底の方法ならば、人間が少なくとも実生活の上では、この方法を、死ぬまで繰返えさざるをえない。

「お早う」ということばの意味を観念の上から考えれば、むなしいことばになるが、これを使う場合の、人間の態度なり、動作なり、表情などの上から考えれば、人間同士の親しみをはっきりとあらわすことばとなるだろう。だが、普通、私たちはそうは考えない。「お早う」はことばというよりもむしろ、あいさつだと考えるだろう。それほど、私たちには、ことばというものを考える場合、ことばの観念上の意味を重んずる風習が身についているのである。学問や知識の発達によって、私たちの社会は、抽象的なあるいは観念的なことばの複雑広大な組織を擁しているので、生活や行動のうちに埋没し、身振りや、表情のなかに深くはいり込んで、その意味などはどうでもよくなってしまっているような低級なことばを、もはやことばとして認めたがらない。

彼らは、社会的な実際の行動に、堅く結びついていないようなことばをもっていない。社会生活の紐帯としてのことば、行為の一様式としてのことば以外のことばをもっていないのである。しかし、私たちの幼年期でも同じことだが、未開社会に於ける、そういうことばの性質は、ことばというものの本来の姿を示すものであって、私たちが、知らず知らずのうちに重大視している、思想だとか観念だとかの翻訳としてのことば、あるいは事物の定義としてのことばなぞは、文明の分化につれ、実際行為の様式としてのことばから派生してきたものにすぎない。

詩人にとって、ことばとは、詩作という行為の為の道具なのである。従ってことばの意味を知るとは、詩の作りかたを知るということにほかならない。歌うという行為が、自らことばを生むのであり、この行為に熟練することによってしか、ことばの意味を明らめる道はないのである。このやりかたは、子どもがことばの意味を確かめて行く、あの自然なやり方と同じであって、詩人は、この素朴なやり方を、非常に複雑な精緻なことばの扱いにも、一貫して押通そうと努めるのである。

古代人は、ことばという事物や観念の記号を信じたのではない。ことばという人を動かす不思議な力を信じたのである。物を動かすのには道具が有効であることを知ったように、人を動かすのに驚くほどの効果をあらわすことばという道具の力を率直に認め、これを言霊と読んだのである。なるほど、呪文によって自然を動かそうとしたのは愚かであっただろうが、ことばの力は、自然に対する人間の態度を変えることはできる、態度が変われば、自然が変わったのと同じ効果が上がる、そういうことを知らなかったほど愚かではなかったのである。彼らにとってことばとは、現実の対象や実際の行為に、有効に働く、そういう一種の機能を持つ力であった。今日も、詩人はこの古い信仰を伝承している。

小林秀雄全作品〈21〉美を求める心

小林秀雄全作品〈21〉美を求める心

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