無駄な音はない?

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先日書いたエントリ、自分の声を聞く - 繭八庵@Hatenaに札幌の三上さんがこんなコメントを付けてくださった。どう返答しようか考えながら書いたのが上のメモ。

id:elmikamino 淳ちゃん*1、言いたいことはすごくよく分かるけど、年寄りの冷や水で敢えて言わせてもらえば、無駄な音なんて、ないと思うよ。生きている証拠だよ。それに自分が感じるほど生徒さんたちは違和感ないんじゃないかな。たぶん。「準備が足りない」というのも考え方次第で、基準をどこに置くかで「これで十分」と思い定めて臨むこともできるように思います。北の花咲か爺。

さて。前回のエントリを書いた時に、頭に浮かんでいたのは、6月に書かれたある高校生のこのエントリ。

質問紙でこんな質問をもらったら彼にどう答えるだろうか、この数ヶ月間常に頭の片隅にある問いだ。一方的な伝達ではなく、双方向のやりとりが出来て、一歩ずつ確認しながら歩いていくことが出来る場。その時、その場所、そのメンバーでしか作り上げられない50分。聞いているだけではなく、参加する。知的興奮と、互いに理解することの喜びを知る、そういう時間。僕なりにこう答えるだろうなというのが授業はライブだというエントリだったし、また毎時間の質問紙の取り組みもそうだ。

「無駄な音はない?」

ライブなんだから、三上さんの言うとおり「無駄な音はない」。弦が切れようと、照明が落ちようと、雷雨の中びしょ濡れになろうと、そのライブがその時一回性のものである以上、何もかもがすべてがライブを構成する要素だ。上手にいっても今ひとつでもそれが「生きた証拠」であるのだから、終わってしまったものは受け入れる。独特の調子や語り口や訛りやクセだったあるだろう。でも一期一会であるが故に、50分という時間を出来るだけ意識的に使って無意識に働きかけるような時間にしたいのだ。


知らなかったことを知る。わからなかったことがわかる。だけであればサテライトやオンデマンドや録音されたものでも書籍でも良い。効率は良いだろう。でも高校までの授業っていうのはそれだけじゃない。のだと思う。僕らがしているのは学問ではなく学習、もしくは勉強と呼ばれる物だ。学び習い、強いて勉めて何かを身に付ける。それはある種の「型」なのだと思う。


読む、聞く、だけで腑に落ちるところまで理解するのは大抵の場合難しい。手を動かしたり、考えたり、身体感覚で「あ、そうか」と落ちるまでには時間が必要だ。話を受け取って咀嚼して飲み込んで受け入れるまでのゆとりというか、ブレーキの遊びのような部分というか。ぐっと内面に集中して頭が高速に回転する。その時間を確保するためにも、僕が話す時間は意識的に使いたい。


もう一つ。「今やる」「すぐやる」「ここでやる」集中力は訓練しなければ身につかない。嫌だけれども、面倒だけれどもやらなければいけない。そういうモノは世の中には山ほどある。小さな集中と達成感と弛緩をたくさん繰り返すことでいつしかググッと深く集中して困難に立ち向かう気持ちが少しでも芽吹いて欲しい。

「準備が足りない?これで十分?」

完全に納得できるまで準備していたら絶対に人前には出られない。生徒たちにもいろいろ言われるけれども、わからない時はわからないと言い、間違った時には素直に非を認めて謝る。3人の子持ち34才の等身大で15才ー18才の生徒たちと接しようと思っている。毎日同じようなパフォーマンスは出せず、そうすると、やっぱり*2もうちょっと調べておけば良かった。今回は怠けたなと思う事もしきり。

思いかけない視点や疑問をもらって僕の視野が広がることも多い。いつまでも準備に費やして教室で使わないよりも、一緒に良くしていこうと現場にどんどん出していくぐらいの気持ちになることもある。肝心なのはこれで終わりと決定としないで時期や様子や進度に応じてどんどん更新する努力をおっくうがらないことなんだう。

拡散してきたけれども、まとめると次の3つ。あたりさわりのない標語みたいだが、でも本音。教えることは楽しい。

  • 無駄な音はない。でも少ない方が良いものもある。
  • 準備も大事。ある程度で決めるのも大事。更新していくのも大事。
  • 心身双方のより良い成長、より高い意識を目指そう

*1:「あっちゃん」と下の名前で僕を呼ぶのは親せきばかりなので、そのことがまず新鮮だった。

*2:自分で1度調べようかなと思って後回しにしていると大抵聞かれる

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