017 流れ出すメロディー

今日は一日中とあるメロディーが頭の中を流れていた。授業中、板書を写してもらう時間。シャープペンシルを走らせる手元をのぞき込みながら机の間を歩いていた。大きな、小さな、布の、金属の、プラスチックの40人の筆入れ。プリクラやシールが貼り、イラストや言葉をびっしり書いてみたり。ふと一人の生徒の筆入れに目がいった。カタカナで小さな文字が模様のように書かれている。左から右へと文字を追う。瞬間。メロディーが流れ始めた。

ランランララ ランランラン ランランラララン

ランランララ ランランランラン ララララランランラン

ランランランラン ラララララン ランランランラン ラララララン


「あの曲だ。」と思う前にメロディーが流れてくる。舌足らずな少女の歌声。同時に手書きのイラストのような金色の草原とその中を駆ける幼い少女の姿が目に浮かぶ。背中に何かを隠す少女と大きな大人の手のひらが何本も彼女に延びる。言葉が喚起する記憶というのは豊かだなと思う。


次の時間、早速生徒たちにこの話をした。「ある言葉を眺めたらメロディーが流れてきてさ。もうずっと頭の中で流れているんだ」。最初の数文字を黒板に書いた。反応はまず歌声だった「あ!」とか「あれだ!」と言葉が出てくる前にメロディーが出てくるのが面白い。音楽が記憶にもたらす力も豊かだなと思う。


和歌を勉強するときに「文字数は五七五七七で、こんな技法があって、こんな風な背景で・・・」と説明するだけでは鑑賞としては足りないなと思わされた出来事だった。和歌がどんな風に声に出して詠まれていたのか。我々がさっと読んでしまう31文字がどのように歌われてきたのか。今とは流れている時間の早さが違うというのはどんなことか。異なる時代を思うときにはそのシフトチェンジが必要だ。