015 清少納言や紫式部の時代

枕草子「雪のいと高う降りたるを」の学習をはじめた。摂関時代の藤原家、道隆と道長の権力闘争とからめてこの時代を見るとつながってくるものがあって面白い。一条天皇を間に挟み立后された中宮定子と中宮彰子、彼女たちに仕える女房たち。清少納言紫式部紫式部日記にある清少納言への言及。また百人一首に取り上げられている彼女らと彼女らと関係する人々。


文学史では名前だけや数行の説明でですまされてしまう作品や作者たちが一人の人間として息をして生活して生きていたんだなと感じられる瞬間。百人一首を読み手に注目して見ていくと、特定の作品の作者としてしか意識していなかった人たちがたくさん出てきて面白い。


あまり文学史と背景の話ばかりしていられないので中身も見ていくし文法事項も確認していく。今回の文章では音便と敬語が肝。どの学校でも用言を勉強すれば助動詞もやるし敬語も和歌も勉強する。足を踏み入れたらとても深い知識の森のどこまで足を踏み入れるかは学校と生徒たちとのやりとり次第。


生徒たちにとっては音便によって「高く降りたる」がウ音便で「高う」になるのは理屈としてすんなりわかる。がこの言葉は二段構えで母音で「au」が出てきているのでその部分の発音が「ou」になるとなると「?」が浮かんでくる。一学期に学んだ歴史的仮名遣いのルールで「たかう」ではなく「たこう」となる。というのはたぶん自分たちで学ぶのでは難しいところなのだろう。


教科書に書いてあって、たしかにその通りなんだけれども、それを「ああなるほど」としっかり納得して、胸落ちして理解するのには独習ではなくて他者からの説明があった方が効率が良い。40人の生徒の中には教科書の記述を読みすぐに「なるほど!」と思える生徒がいるだろう。その生徒から周りの生徒にその「なるほど!」が広がっていくと良いのだが、なかなかそうはいかない。教師が介在しなくても学びが成立する。学び合っていけるようになるにはどうしたら良いのだろう。