007 自習監督をしながら思う

普段教えていないクラスの自習監督。準備ができていないのに号令がかかる。4回やりなおした。あれ、こいつはうるさいかもだぞという空気が流れる。あめやガムを食べている。普段来ない自習監督だからわかるまいと席を交換している。普通に注意してもあまり効果がない。効くように話した。全部注意しているとそのうち全員良い子の顔になっている。あ、だめなんだ。猫をかぶるのに時間がかかったんですという風だ。普段教えているクラスなら、やりすぎたかと思う瞬間。


皆同じスタートラインに立っていてわからないのは一緒。だから間違っても全然問題がない。間違えながらわかっていくもの。わからないことや聞きたいことはどんどん発言していい。授業に関係していることならばおしゃべりも注意しない。ただし自分の行動が周りの迷惑になっていないだろうか、ということは意識してください。4月から1年間良く言うセリフだ。


休み時間や行事の時の賑やかさやパワーがまるでなかったかのような静寂の中の授業。静かではあるけれど内面はそっぽ向いてるしちっとも動いていない。やらされて手を動かしているだけではなくて、自分で考えて答えにたどり着いて「え、もしかして?あ、そうか!わかった!」にしたい。内部が熱く燃えていなければ。


こんな授業に、教室にしたいとずっと思っている。安心してリラックスした状態でいて、クラスメイトとの人間関係もできている。生徒と教師の間の信頼関係もある。思ったことをすぐ口に出せて、素の自分を表に出しても受け入れてもらえる。多少脱線していてもいつの間にか本題に戻っていて、よし頑張るか、という気持ちになれて、わかった!という達成感が得られる。


自分で考える時間、二人で相談する時間、前に出て答えなければいけない時間。 指名されるまたは進度をチェックされるなどの危機感がないとなかなか積極的には動いてはくれていない。あちらこちらの反応や質問の声を拾いながら、「対話しながら」の学習を続けてきた。3学期にもなると関係もできてお互いこの辺りまでは、という了解事項がなんとなくある。それほど作らず自分を出して参加できる生徒も出てくる。


春の立ち上がりの段階は、服装や頭髪や化粧やアクセサリーやらの校内のルールの徹底を図る時期。この時期にはどうしても教員と生徒の間には対立ができる。そしてその対立は途切れる事なく三年間続く。引かねばならない線を引きつつ、自分を出してどんどん発言して、間違いや要望があればどんどん出して、を両立するのに毎年苦労している。