「書くこと」について

文章を書く。自分の思っていること、感じていることを書く。伝えたいことがきちんと伝わるように適切に書くために――

  • どんな知識が必要なのか。
  • どんな訓練をすると良いのか。
  • どんな仕組みを作ったら良いのか。

ウェブで日記を書いているのは楽しかった。今もブログを書いている時間は楽しい。ブログを通じたやりとりが活発になってきた最近はものすごく楽しい。仕事でも生徒と質問紙のやりとりを続けていることも楽しい。文章を書くことに対しての、彼らの拒否反応を少しでも薄められたら嬉しい。でも嬉しいでとまってしまってはいけない。大村はまさんの次の文章がいつもそれを思い出させてくれる。

親も離れ、先生もいなくなった時、子どもは一人でこの世の中を生きぬいていかなければなりません。その時、力がなかったら、何とみじめでしょうか。国語の教師としての私の立場で言えば、その時、言葉の力が足りなかったら、いかにみじめかと思います。平常の、聞いたり、話したり、読んだり、書いたりするのに事欠かない、何の抵抗もなしにそれらの力を活用していけるように指導できていたら、それが私が子どもに捧げた最大の愛情だと思います。
新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

もう一歩踏み込み、文章で自分の思いや考えを表現して、誰かに伝えることの楽しさを感じてもらえたらば、もっと嬉しい。いや、嬉しいということではなく、そういう能力を身につけてもらうことを目標としなくてはいけない。文部科学省の定める高等学校学習指導要領、国語科の目標は次のように定められている

 国語を適切に表現し的確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力を伸ばし心情を豊かにし,言語感覚を磨き,言語文化に対する関心を深め,国語を尊重してその向上を図る態度を育てる。

僕自身は、子どもの頃から文章を書くことは大の苦手だった。作文、感想文、卒業文集に年賀状。大学に入ってからもレポートの数々に卒業論文に就職の時の自己PRや志望理由…苦労して書き上げた記憶しか浮かんでこない。

それが今は、文章を書くことが楽しいと思えるようになっている。文章を書くことについての本を買ったり、ネットを探したり。「なるほど」「面白い」と真似してみるものはあるけれど、身につくまで継続して実践していること、訓練していることってあまりない。生徒達と一緒にやっているモノもあるけれども、ちょっと目先の変わった珍しいモノ止まりで、力をつけるところまで到達できていないものばかりな気がする。自戒の念もこめ少しずつ整理することで、「書くこと」の学習に対して自分なりの方法論を見つけたい。