月曜日

月曜日は1234の4連続授業ではじまります。何回やっても午前中は慌しいです。1・2限は1年生の国語総合。百人一首は1限のクラスが45首目「哀れとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな  謙徳公」、2限のクラスは44首目の「逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし 中納言朝忠」でした。恋の歌が続きます。

土佐日記「門出」も大詰め。1クラスは最後までたどり着きました。ただ、準備不足で、質問されても上手に答えられなかったところが2箇所。

「恥ぢずになむ来ける」の「けり」。「けり」は普通、「過去」の助動詞といいますが、もう一つ「詠嘆」という意味も持っています。今回の「けり」は詠嘆なんですが、なぜこれが詠嘆に?という疑問が1つ目。また、別の場所で「むまのはなむけしに出でませり」の「ます」は、四段活用の已然形ですが、サ変の未然形といったのが2点目、と今日は準備不足が如実に授業にあらわれてしまい冷や汗を流しました。1つ目の「けり」は文脈から詠嘆と判断します。作者が実際にいるところに八木のやすのりがやってきたという自分の体験であるのだからこの場合使うとしたら「き」になるはず。というのが根拠の1つ。またこの文章は、日記で昔の話をしているのに文末は断定や完了の助動詞ばかりを使っていて、過去の助動詞「けり」が使われているのはここだけ、であるから、何かしらの意図があると読み取って、過去ではなく詠嘆と判断する、というのが2つ目の根拠。

また、「ませり」の「ます」は四段型に活用します。「ませり」の「り」は完了の助動詞で、「『り』はさみしい」で覚えるとよいのですが、サ変(さ)の未然形(み)と四段(し)の已然形(い)にしか接続しません。頭文字をとって「さみしい」と覚えるわけです。

事前の教材研究をどれだけきちんとできるか、がこの職業とてもとても大事です。思い込みで授業を進めちゃいけないと、改めて反省しました。

34限は2年生の演習科目、ここでも助動詞の説明にかなりの時間をさいて、全体像の把握に努めました。意味ごとの一覧を作って、特徴を一人ずつ聞いていきます。分かるまで何回でも何十回でも話すつもりでないと、本当に定着しません。