今日の短編(68) よしもとばなな「あったかくなんかない」

ただ、見る。そのままを、感じる。ありのままを、認める。簡単にできることじゃない。いつ水が出てくるかわからない井戸を掘っていくような、どこまで続いているのかわからぬ岩のほこらを穿つような。誰かと一緒にできることじゃない。と思っていたけれども。一人を突き詰めることが誰かにつながることになるのかもしれない。

ものごとを深いところまで見ようということと、ものごとを自分なりの解釈で見ようとするのは全然違う。自分の解釈とか、嫌悪感とか、感想とか、いろいろなことがどんどんわいてくるけれど、それをなるべくとどめないようにして、どんどん深くに入っていく。
そうするといつしか最後の景色にたどりつく。もうどうやてもうごかない。そのできごとの最後の景色だ。
そこまで行くと、もう空気も静かになり、全てが透明になり、なんだかこころもとない気持ちになってくる。でも感想は案外浮かんでこない。
すごくひとりだということを感じるだけだけれど、どこかでいつか誰かがやっぱり同じ気持ちでこの景色を見たのだということだけはわかるので、なんとなくひとりではないという気持ちにもなる。
でも、それがいいことがどうかは全然わからない。ただ見るだけだ。そして感じるだけ。

カフェにすわって人々を見ていることは、川の流れを見ているのと全く同じだということを知った。
それは、歴史のある都市でなくてはならない。
古く重く恐ろしい色や形をした建物の前を、現代の人々が流れていく、その様子こそが川なのだ。
そして、私は知った。
川の恐ろしさは、時の流れのはかりしれなさ、おそろしさそのものなのだと。

「みつよちゃんの中には、何か丸くてきれいで淋しいものが見えるね。ほたるみたいな感じに。」
なんてまことくんに言われたことがあった。
「いつでもあるの?」
と私は聞いた。
「ううん、静かにしている時だけ。僕はそれを見るのが好きなんだ。」

「そうしたら楽しいだろうなあ。ずっといっしょにいて、本を読んだり、おやつを食べたりできるんだ。ドラえもんのび太みたいに。」」

「ううん、僕、中にいる人の、そのまた中にある明るさが、外に映っているから明るくてあったかく感じるんじゃないかと思うんだ。だって、電気がついていても淋しいことって、たくさんあるもの。」
「人が明るいの?」
「人の気配が、照らしてるんだよ。きっと。だからうらやましく思ったり、帰りたいと思うんじゃないかなあ。」

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

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 所収