山田ズーニーの「おとなの進路教室。」Lesson6「40代社会再エントリーへの苦闘」を聞いて
Lesson 6 「40代社会再エントリーへの苦闘」
ゲストは山田弘美さん。お義父さんの介護のために、17年続けた高校教師の仕事を辞めるも、介護生活はわずか2年で終わってしまう。1度断ってしまった社会とのつながりを40歳を過ぎてからどうやって結びなおしたか、非常に興味深く聴いたシリーズ。
- 仕事辞め介護生活に入るも2年で終わってしまう。(義妹が最期を見たいと言ってきたため)。17年のキャリアを捨て介護生活に入ったのに、何故やめた、ゆずった?
- やせがまんだったのかも。でもくやしかった、やることがない。居場所、生きがい失ってしまった。
- 「もう1度社会に復帰したい」キャリアコンサルタントの求人に応募(半年後からの委託訓練の講師)講師である自分が先ず愁傷活動をしなければと、就職活動を始める。
- 40社受けて全てダメ。職歴には(17年の)教師の経験しかない。企業の経験のない40代は使い物にならない。しかし
- 面接までしてくれる所はある
- 時間をとって話を聞いてくれる
- 落ちて落ちて25社目くらいからはどんな人と会えるんだろうとワクワクしていた。
- 40社受けて全てダメ。職歴には(17年の)教師の経験しかない。企業の経験のない40代は使い物にならない。しかし
- 就職活動中の圧迫面接の中で「自分は一人一人を大事にしたい」という思いに気がついた。「自分のできるところで勝負しなくては社会に貢献できない。
- 「自分を活かす場を提供してくれるなら、どこでも良い」正社員ではなくフリーランスを選択した。
- 自分の時間を使って「準備」、カウンセリングの勉強(初級カウンセラーの資格取得)していた。(次の仕事のために準備や支度とは認識してなかっただろうけれど)
- 講師の仕事、講演、学校や職業訓練の場でのカウンセリングなどなど?
- 再び社会に出られたポイントは何?―「自分のやりたいこと、軸足がぶれなかった」
- 「人の役にたちたいという思い」
- 「これをやっている自分が好き」が見つけられた
- 人が成長する場面に立ち会えるのが嬉しい
- 「居場所、生きがい、求められる評価されるために社会とのつながりが不可欠」
- 「自分を活かせる場所を提供してくれるならどこでも良い」
- 自分が活かせる場所を自分で認識できているかっていうのは、難しいよなぁ。やりたいことって簡単に見つけられたりするもんではないと思う。就職試験に落ちて落ちて落ちて落ちて、途中からどんな人に会えるかワクワクしたと仰っていたけれども、それまでは相当苦しかっただろうし辛かっただろうと思う。その経験をしたからこそ、思いの底にしっかりと残っていた「人の役にたちたい」「一人一人を大切にしたい」という思いが見えたのだろう。
- 番組サイト「おとなの進路教室。」
- ポッドキャスト(iTunes Store)
- これまでの番組を聞いてとったメモは