小林秀雄全作品から(2) 「美を求める心」

目の前にあるものを、先入観なく見つめることは難しい。固定観念や、記号化された概念に当てはめ、定義してしまったほうが簡単で楽だし、なにより早い。事物に限った話じゃなくて、「朝弱い」とか「体が弱い」「人の話を聞かない」なんていう人物に対する評価だって、一度下してしまうとそれをひっくり返すのは本当に容易じゃない。「ひとりひとりの個人的特性、興味関心を引き出して伸ばす」なんて事も言うけれど、これもまた難しい。見つめても見つめてもその内側にあるものはなかなかに感じられない。「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」といい、「読書百遍義自ずから通ず」という。量が質に転化するまで、身体化するまで集中しなさいということだよな、と勉強不足の頭で思う。

「美を求める心」昭和32年(1957)2月「美を求めて」に発表

極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。先ず、何を措いても見ることです。聴くことです。

諸君が、昔風の絵を見て解るというのは、そういう絵を、諸君の目が見慣れているということでしょう。ピカソの絵が解らないというのは、それが見慣れぬ形をしているからでしょう。見慣れて来れば、諸君は、もう解らないなどとは言わなくなるでしょう。だから、眼を慣らすことが第一だというのです。頭を働かすより。眼を働かすことが大事だというのです。

見ることも聴くことも、考えることと同じように、難しい、努力を要する仕事なのです。

画家でも音楽家でも同じ事で、彼等は、色を見、音を聴く訓練と努力の結果、普通の人には殆ど信じられないほどの、色の微妙な調子を見分け、細かな音を聴き分けているに違いないのです。優れた絵や音楽は、そういう眼や耳を持った人の、色や音の組合せなのですから、ただぼんやりしていれば、絵は自ら目に写って来る、音楽は耳に聞こえて来るというようなことはあり得ないのです。

何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の色も形も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。
(中略)
菫の花だと解るということは、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えて了うことです。言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗て見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。

画家が花を見るのは好奇心からではない。花への愛情です。愛情ですから平凡の菫の花だと解りきっている花を見て、見厭きないのです。

諸君は、何んとも言えず美しいと言うでしょう。この何んとも言えないものこそ、絵かきが諸君の眼を通じて直接に諸君の心に伝え度いと願っているのだ。音楽は、諸君の耳から這入って真直ぐに諸君の心に到りり、これを波立たせるものだ。美しいものは、諸君を黙らせます。美には人を沈黙させる力があるのです。これが美の持つ根本の力であり、根本の性質です。絵や音楽が本当に解るという事は、こういう沈黙の力に堪える経験をよく味う事に他なりません。

田子の浦ゆ打出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪はふりける
(中略)
歌人は、言い現し難い感動を、絵かきが色を、音楽家が音を使うのと同じ意味合いで、言葉を使って現そうと工夫するのです。
(中略)
歌人はそういう日常の言葉を、綿密に選択して、これを様々に組合せて、はっきりした歌の姿を、詩の形を、作り上げるのです。すると、日常の言葉は、この姿、形のなかで、日常まるで持たなかった力を得て来るのです。

ところで、歌や詩は、諸君に、何かをしろと命じますか。私の気持ちが理解できたかと言っていますか。諸君は、歌に接して、何をするのでもない、何を理解するのでもない。その美しさを感ずるだけです。何の為にかずるのか。何の為でもない。ただ美しいと感ずるのです。歌や詩は、解って了えば、それでお了いというものではないでしょう。では、歌や詩は、わからぬものなのか。そうです。わからぬものなのです。
(中略)
歌は、意味のわかる言葉ではない。感じられる言葉の姿、形なのです。言葉には、意味もあるが、姿、形というものもある、ということをよく心に留めて下さい。

「美を求める心」という大きな課題に対して、私は、小さな事ばかり、お話している様ですが、私は、美の問題は、美とは何かという様な面倒な議論の問題ではなく、私たちめいめいの、小さな、はっきりした美しさの経験が根本だ、と考えているからです。美しいと思うことは、物の美しい姿を感じる事です。美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。
(中略)
あの人は、姿のいい人だ、とか、様子のいい人だとか言いますが、(略)その人の優しい心や、人柄も含めて姿がいいというのでしょう。
中略
そういう姿を感じる能力は誰にでも備わり、そういう姿を求める心は誰にでもあるのです。ただ、この能力が、私たちにとって、どんなに貴重であるか、又、この能力は、養い育てようとしなければ衰弱して了うことを、知っている人は、少いのです。

小林秀雄全作品〈21〉美を求める心

小林秀雄全作品〈21〉美を求める心

 所収