今日の短編(13) 村上春樹「バースデイ・ガール」

ディヴィッド・リンチの映画に出てくるような現実とは少しずれた場所を思い起こされる。ここではないどこか。赤いビロードのカーテンに囲まれた赤い部屋、古ぼけた劇場の緞帳の前。けれど嫌な感じはしない。むしろ、すっきりするような。

村上春樹「バースデイ・ガール」(BIRTHDAY GIRL by Haruki Murakami)

「ああ、もちろん。廊下に出しておくよ。ワゴンに載せて。一時間後に。君がそう望むのなら」
そう、それが私の望むことなの、今のところ、と彼女は心の中で思った。

「誕生日おめでとう」と老人は言った。「お嬢さん、君の人生が実りのある豊かなものであるように。なにものもそこに暗い影を落とすことのないように」
二人はグラスをあわせた。
なにものもそこに暗い影を落とすことのないように、と彼女は頭の中で老人の台詞を反復した。どうしてこの人は、こういうちょっと普通じゃないしゃべり方をするんだろう?

「しかしたったひとつだから、よくよく考えたほうがいいよ。可愛い妖精のお嬢さん」。どこかの暗闇の中で、枯れ葉色のネクタイをしめた小柄な老人が空中に指を一本あげる。「ひとつだけ。あとになって思い直してひっこめることはできないからね」

バースデイ・ストーリーズ (村上春樹翻訳ライブラリー)

バースデイ・ストーリーズ (村上春樹翻訳ライブラリー)

所収。