今日の短編(1) ラッセル・バンクス「ムーア人」

振り返ると読書の時間がすっかり減ってしまった。短い作品ならば毎日とはいかずとも読めるだろう。と、梅田望夫さんのエントリ([短編小説]記事一覧 - My Life Between Silicon Valley and Japan)の真似をして記録を残していきたいと思う。印象に残った文章を一つか二つ引用していきたい。
ラッセル・バンクスムーア人」(THE MOOR)

私は椅子をゲイルのそばに引いてくる。そして下らない気取りを捨ててしまう。気がつくと私は、まだ青年だったころに数カ月のあいだだけ知り合っていたその女性の姿を彼女の目の中に懸命に捜し求めていた。私はそのときまだ二十一になったばかりで、彼女はもう五十に近く、夫がいた。あの二人の太った男たちは、まだ十代の痩せた子供だった。しかしどれだけ老女の顔を見つめても、そこにかつての女性の面影を認めることはできなかった。もしそのときの女性が失われてしまったのなら、あのときの青年も―――この青年も―――やはり失われてしまったはずだ。

家まで車を運転するあいだ、泣き出すのをこらえるのが精いっぱいだった。時間はやってきて、時間は去り、それを取り戻すことはできない。私は自分にそう言う。私が手にしているのは、今この目の前にあるものだけなのだ。と私は思いを定める。でも降りしきる雪の中に車を進めていると、私が手にしているものなんてほとんど何もないみたいに思えてくる。私が老女とのあいだに今しがた交わした優しさのほかには何も。だから私はそのことに心を集中する。

バースデイ・ストーリーズ (村上春樹翻訳ライブラリー)

バースデイ・ストーリーズ (村上春樹翻訳ライブラリー)

所収。