情熱大陸 山野井泰史

6月11日放送の情熱大陸を見ました。最初から最期まで圧倒されっぱなし。

まるで午後の散歩でも楽しむように命綱もなしに切り立った絶壁をのぼる。41歳。家でボーっとしているより何倍も落ち着く。と断崖の途中で語る。
山登りを知ったときからずっと発狂状態のような感じ。だれかが僕を止めてくれないとどこまで言っちゃうのか。自分が登りたい山にだけ登ってきた。4年前のヒマラヤで両手の指を4本、右足の指すべてを失った、それでもとまらない。標高8000mを超えると酸素は平地の三分の一。しかしボンベは使わない。妻、山野井妙子も世界トップクラスのクライマー。

収入は山野井の雑誌などに寄せる原稿料と登山用品のアドバイス料。
ほとんどの時間をトレーニングに。左右の小指と薬指を失って握力20キロほどに。しかし軽々と壁を登っていく。妻も両手の指第二関節から先すべて、両足も8本の指をなくしている。夫婦とも指がないことはクライマーとして大きな障害だろうけれども、たんたんとしている。

4年前のヒマラヤ。ギャチュン・カン(1952m)下山中に二人とも雪崩に巻き込まれた。素手になって岩の割れ目を探して下山。手の感覚がないので、手袋をはずして素手で岩肌を探る。あまり使わない指ははどれか、左手の小指は使わないかな。次は右手の小指。と続けて夫婦で氷河に降りた。自力でキャンプに付いたとき、予定を1週間過ぎていた。夫婦ともに指を失いながら輝いていた。

いい登山だったと。面白かった。僕のやってたことは間違いじゃない。自分たちの能力を最大に使って、限界までやったなと思う。

八ヶ岳氷壁でトレーニング。途中道具を落とす。これまでありえなかった。2005年7月中国ポタラ峰北壁5428m。標高差850m垂直な絶壁を7日間かけて不眠不休で登りきった。

小学生のときに、酸素ボンベなしでエベレストを登りたい。登ることと生きること、同じです。同じだけど、生きることっていうと生活のにおいを感じるけど、自分にはない。上ることイコール呼吸すること心臓を動かすことに近い。今年秋ヒマラヤにいどもうに決めている

城ヶ先スコーピオン、名づけたのは山野井。西伊豆にある、クライマーが腕試しにやってくるような壁。屋根のようにぐっとせり出すアップハングの壁。19歳のときに初めて陥落した。6度目のアタック。とても体重をかけられるようなでこぼこがあるとは思えない。
失敗「だめだ、もう」感情がほとばしる叫び。ここを超えない限り秋のヒマラヤはない。

クライマー・山野井泰史、41歳。
彼の登山方法は八千メートル級の名峰を、あえて単独・無酸素で踏破するというもの。しかも、垂直の壁面をよじ登るクライミングにこだわり、世界の登山家たちが驚くような難ルートを次々と開拓した。山野井が最強クライマーの呼び声高い所以だ。その実績により、植村直己冒険大賞、文部科学省スポーツ功労賞、朝日スポーツ賞を受賞した。
ところが、それまで好調だった山野井のクライミングが4年前、突如暗転した。ヒマラヤの高峰ギャチュン・カン(7952m)で雪崩に遭い、奇跡的に生還したものの、凍傷によって手足の指10本を失った。
4年間のリハビリを経て、今年、山野井はクライミングを本格的に再開する。かつてのようなクライミング能力がどこまで回復しているのだろうか? 復活への手がかりはつかめるのだろうか?2006年初頭から5ヶ月間、情熱大陸のカメラは、己の肉体と格闘する山野井の姿を追った。