25/50「決断力」

決断力 (角川oneテーマ21)

決断力 (角川oneテーマ21)

羽生さんは1970年生まれ、3つ年上かというのが最初の発見。非常に分かりやすい文章を書かれる人だと思いました。

駒がぶつかったあとからは争点がはっきりするのである意味、考えやすい。そこから逆転の機会をつかむのは難しい。勝負どころはもっと前にあるのだ。

水面下での段取りや準備の段階で差が現れるというのはよくある話で、仕込みが良い人は仕事ができる人だという印象を持っていました。

先生(米長邦雄)は、名人への夢を実現するためにとんでもないことをした。名人位を獲得する四、五年前に自分の将棋を一新させたのだ。今まで培ってきたものをすべて捨て、まさに一から変えた。「泥沼流」といわれたのが先生の将棋であった。その将棋を捨て、若手に教えをこうて、最先端の将棋を一から学びなおしたのだ。フルモデルチェンジ。こんなことが五十歳に近づいた人のできることだろうか。だが、米長先生はそれに成功した。

既得権にしがみついて船が沈もうとしていることに目を背けたがる人が多い中で変わって行くことを恐れずにチャレンジできるというのはそれだけで才能だと思う。「never too late」という言葉を信じたいものにとっては支えに励みになるエピソードだと思う。

これまで、誰もが怖くて「できなかった」分野で画期的な何かが起こる可能性がある。「できなかった」というのは、それを諦めることではない。そこを避けて通ったり、ちょっと考え方を変えれば新しい方法が開ける。そして、何年かたつとそれがメジャーになって落ちついてくるという事も考えられるだろう。

微妙な一手の違いなのだが、たとえば、王を囲う一手を遅くしたり、飛車先の歩を一歩突かないだけが画期的な手であったりする。歩の一歩の違い、一手ずらすだけの違いだから、一般にはすごくわかりにく。

今の時代は、いろいろなことが便利になり、近道が非常に増えた時代だと思っている。何かをやろうと思った時に、さまざまな情報があり、安易な道、やさしい道が目の前に数多くある。楽にすすめる環境も充実している。昔は、遠い、一本の道しかなかった。そのため、選択の余地なくその道を歩んだけれど、今は近道が他にたくさんできている。わざわざ一番遠い道を選んで行くのは損だという思いにかられる。その横では近道で通り過ぎてゆく人がたくさんいるのだから。(略)しかし、遠回りをすると目標に到達するのに時間はかかるだろうが、歩みの過程で思わぬ発見や出会いがあったりする。

以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていた。しかし今は、十年とか二十年、三十年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。直感でどういう手が浮かぶとか、ある手をぱっと切り捨てることができるとか、確かに故人の能力に差はある、しかし、そういうことより、継続できる情熱を持てる人のほうが、長い目で見ると伸びるのだ。

ペースを落としてでも続けることだ。無理やり詰め込んだり、「絶対にやらなきゃ」というのではなく、一回、一回の集中力や速度、費やす時間などを落としても、毎日、少しずつ続けることが大切だ。無理をして途中でやめるくらいなら、「牛歩の歩み」にギアチェンジした方がいいと思っている。