グラン・トリノをみてきた

ずっしりと重たい物を渡された気がする。自分なりの筋を通して生きてきたが理解されない。辛くて忘れられないこともある。自分に聞こえているリズムが他の人にも聞こえているとは限らない。遠く小さく響いてくる遠い太鼓。孤独なリズムを刻む。けれども、心が通じる瞬間もあるし、思いを託せる人に出会えることもある。


15年前に82才で亡くなった祖父は、覚えている限りずっと同じ車に乗り続けていた。確か黒のクラウンだった。乗り込む前には毛ばたきでボディーのホコリを落としていて、いつでもきれいにしていた。祖父が亡くなって車を処分すると聞き、弟と二人でステアリングだけでも形見に欲しいと頼んだ。理由は忘れてしまったが聞き入れられず車はなくなった。


すっと真っ直ぐに立つ姿に力をもらってもいい。差別的で頑固な物言いにかちんと来ても良い。それでいいのかよじいさん!と腹を立てても良い。隣人だったら、身内だったならば、とても付き合いきれないタチのわるい年寄りだと思う。にも関わらず見終わった後には彼の手を握ってやりたい気持ちになる。簡単にわからないでいい、納得しなくてもいいという潔さと複雑さが今も余韻を残している。


hayakarさんのエントリをきっかけに勢川さん、三上さんもご覧になり僕も背中を押されました。見に行って良かった。あhayakarさん、勢川さん、三上さん、ありがとうございました。