授業はライブだ

大好きだった尾崎豊 ―― 彼が亡くなってからもう16年、16年!も経ちます ―― がこんな歌を歌っていました。教師になって毎時間40人弱の生徒たちを前に、折に触れ思い出していたのはこの言葉だったかもしれません。

人生はキャンバスさ
人生は五線紙さ
人生は時を演じる舞台さ

同じ教材を同じ進度で、同じ板書で、同じ内容の説明で進めたとしても、同じ授業にはなりません。その時その場所でそのメンバーで同じ時間を共有できるのはその一回限りしかない。教師に数十回目の羅生門であっても生徒たちにとっては初めての羅生門。その時のメンバーが、どんなコンディションで、どれくらい集中して、どこが読みにくくて、どこがわかりにくいかはクラスによって全く違います。その波を読みながら彼等を上手に波に乗せていかなければいけないのです。同じセットで何十回でも何百回でも最高のパフォーマンスを見せるアーティストのように。


ヘマもします。教壇踏み外してこけたり、生徒の様子を読み違えたり、寝てると思いこんで叱ったら、前髪長くて目が見えていないだけでしっかり起きていたり、説明の順序をとっちがえて混乱したり、大声出し過ぎて声からしちゃったり…。でもそういうのも込みで、ヘマをしたらごめんって謝ったり、声が出ないから今日は特別静かにな、ってお願いしたり、センセイ今日は調子悪いね、っ同情されたり。授業ってそういう人同士の双方向の言葉と思いのやりとりが絶対に必要だと思うんです。人数が多くなればなるほどそれは難しくなっていくのでしょうけれども。