語り口

IMGP7834
iPod を手に入れて本当に良かったなと思うのが、いつでもどこでも自分が気になっている人の話を聞けるということ。音楽を聞くのももちろん好きだけれども、通勤途中や一人で犬のゲンの散歩に行くときはたいてい誰かの話を聞いている。娯楽だったり新しい知識を得たり、あわよくば授業で使えるネタが見つからないかと思いながら聞いている。10人いれば10通りの語り口があって、面白い。面白い反面、僕が生徒たちに話をするときに、有効な語り口がそこから見つかるんじゃないかとという思いも少しあったりする。

小林秀雄講演 第1巻―文学の雑感 [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 1巻)
梅田望夫さんのエントリをきっかけとして聞き出した新潮CDの講演関連は全部欲しいくらいで、次々買っている。色々聞き出してもう1年以上たつけれど、その中でも良く聞くのは司馬遼太郎さんと向田邦子さんの講演。お二人に共通するのがその語り口の柔らかさだ。


特定多数の聴衆を前に長話しをする時の語り口というのは、1対1の時とはまったく違ったものになるはずで、語り手としてはいくらボールを投げても返ってこない独り言をいっているかのような感覚にもなるだろうに、お二人の語り口は目の前で自分にだけ話しかけてくれているかのような親近感を感じさせてくれる。茶飲み話をしているような雰囲気の中で、専門性の高い話題を素人の僕たちにかみ砕いて話してくれているような気持ちでいつも聞いている。


その次ぐらいの頻度で聞くのが批評家の小林秀雄さんと三島由紀夫さんの講演。こちらの二人の語り口は、先の二人とは対照的で、襟を正し拝聴しないといけないような緊張感にあふれている。あふれてはいるのだけれども、話をしている小林さん三島さんが目の前にいる聴衆に対してより強く語りかけているような印象を受けるのはこちらの二人の方だったりする。「諸君」という呼称を用いているせいかもしれないけれど。


脳科学者の茂木健一郎さんは小林秀雄さんの口調は落語家の古今亭志ん生のようだという。amazonのレビューなどでも見かけた。向田邦子さんもCDの中で古今亭志ん生火焔太鼓が素晴らしいという話をしていた。落語家の語り口というのも、古今亭志ん生火焔太鼓を聞いてみた。iTSとあっという間に買えるのだから便利な時代だ。(余談ながらiTSで購入できる古今亭志ん生火焔太鼓は残念ながら向田邦子さんがCDの中で取り上げているものとは違う。違うけれども、これはこれでとても面白い。)


古今亭志ん生火焔太鼓を聞いて、そのまま興に乗って他にも名人と呼ばれる人たちの落語を聞いてみたけれども、僕には落語家の語り口の影響は、小林秀雄さんよりも司馬遼太郎さんの方により強く表れているように感じた。「ですなぁ」「でございまして」「であります」言葉にすると誰が話しても同じようなものだけれども、音になるとずいぶん印象が違う。司馬遼太郎さんは果たして落語好きだったのであろうかというのが一番最近の僕の疑問。

養老孟司が語る「わかる」ということ (新潮CD講演)
他にも瀬戸内寂聴さんや井上靖さん、養老孟司の語り口もまた独特ですが、新潮CDだったら司馬遼太郎さんと小林秀雄さんだろうなと思います。(うーん。amazonには書影が全くないものばかり)


CDはずいぶん聞いているのに、著作を全く読んだことがないというのはもったいなさそうなので、司馬遼太郎さんと向田邦子さんの文章も読んでみようと思うこの頃です。


ipodでは、講演CDだけではなくてpodcastも良く聞くのですが、そのエントリはまた別にします。