水曜日

ipodにいろいろな人の講演を入れて聞いています。今朝は瀬戸内寂聴さんの講演を聞きました。。寂聴さんの一人語りなのでラジオの収録かなにかかも知れません。「老いて華やぐ」というテーマのCDです。自分が70,80と老いていく姿というのは、僕の年齢では正直、まだ想像しにくいものです。けれども、祖父母たちのことを思いながら聞くと、少し身近なことのように感じられる気がします。その寂聴さんを聴きながら通勤電車の中でmoleskineに雑記書きと今日のタスク出しをします。昨日帰る前に今日のタスクは書き出しておいたのでそちらは確認程度で済み、雑記書きに時間をかけられました。

今日は3456の連続授業です。授業準備に使えるのは12のみ。朝会のあと珈琲を淹れてから、作業開始。集中して書き出しておいたタスクリストをつぶしていきます。質問紙の回答を3クラス分、100問程度に答え、プリントアウトして印刷。これはtexで製版しているので、回答する内容だけに集中できます。そのあと、34時間目の演習科目でやることと、板書や話す内容の確認。56の国語総合での漢詩の板書の確認と計画など、なんとか時間内に終わらせることが出来ました。

34時間目は2年生の演習科目、今日は評論分2題を読みました。隣の教室で3年生の「舞姫」の授業をやっているのが聞こえてきます。今年は3年生を持っていないので、いいなあとおもいながら話を聞いたりする余裕も今日はありました。昼休みには職員室であわてて昼食。3456と授業のある日はお昼はなんだか食べた気分がしません。食後は午後の2時間分のプリントの準備で終わります。

56時間目は1年生。百人一首36首目「夏の夜は まだ宵ながら あけぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ」を暗誦したあと、漢詩のきまり、絶句、律詩、押韻の説明と実際の詩のなかでの押韻の位置の確認。また静夜思の鑑賞。唐詩の鑑賞は次の時間で終わらせ、暗誦テストをする予定です。前回今回の音読ですでに覚えてしまった生徒も多く、あまり時間かからず全員突破してくれるでしょう。

掃除終了後の放課後は今日の3クラスの質問紙の入力。3クラスでだいたい100個の質問や感想をtexのファイルにしていきます。この入力に大体1時間かかりました。それが終わった5時過ぎにようやく一休み。また珈琲を淹れて少しだけのんびり。明日の仕事のタスク出しをしてから部活動。

今回の質問紙の内容でこれはと思ったのが次のもの。こんな風に感じてもらえると嬉しくなります。受身でなんとなく書くのではなく、自分なりに意味を見出してある能力をつけようと意識してくれる、というのは素晴らしいことです。

質問を書く。1週間後に回答が来る。このシステムが手紙のようではしゃいでしまうのは、私だけでしょうか?個別に質疑応答が行われるのではなく、まとめて行われるという点では、手紙というより雑誌などのコーナーというニュアンスの方が近いのかもしれませんね。少なからずこのシステムを楽しんでいる人はいると思います。私みたいに。考えてみると、この教室にいる全ての人が「受」であり「能」の立場にあるわけです。そう考えると生半可な文章なんて書いてられないなと思いませんか?なぜなら私なら生半可な文章なんて読みたくないからです。それじゃ、私の書いたこの文章は生半可じゃないのか?と聞かれると自身は持てませんが。とにもかくにも私の書いた文章を読んでくれる人がいる限り、「能」の立場であるというプレッシャーを感じます。この授業の感想や質問を書くというシステムの中に、文章力を鍛える、というもうひとつの意味があるような気がした今日この頃です。

学校を出たのは7時過ぎ、帰り道には司馬遼太郎さんの講演CD「医学が変えた近代日本」を聞きながら帰ってきました。司馬さんのユーモアの感じられる口調に接するとほっとします。冗談を言って、たまらず自分もくっくっと小さく笑いをもらされているのが愉快です。

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