木曜日の仕事と最近思うこと。

国語総合2コマと一週間で一番余裕があるはずの一日。ではあるが、質問紙の回答、百人一首の解説、古典教材の準備などしているうちにあっという間に一日が終わる。

最近仕事のことをあまり書いていなかったので、あまりまとまりを求めず、思いついたことをそのまま書こうと思う。

一日の仕事で授業以外のところでは、質問紙の入力と回答が一番手間がかかっている。平均40人の授業を週に16コマやっている。内2時間連続で質問紙は1枚だけの授業が4個あるので実質40×12の480個の質問に毎週答えていることになる。授業で配布する質問紙のプリント1枚作るのに今のところ90分かかっている。内訳は質問の入力に30分、回答に60分。回答はもう少し早くすることも出来るのだけれど、そうすると今度は質が落ちて当たり障りのないつまらない文章しか書けなくなるので、この時間はあまり減らせない。授業が1コマ50分なので、生駒の授業の準備に、この時点でほぼ倍の時間を要している。これはどちらかといえばオマケの部分で、教材の準備もあるので、50分の授業の準備に何時間使っているんだという感じ。毎時間続けることが大事で、これのお陰でコミュニケーションが生まれるケースが多いのでもう意地で続けている。

教育実習生が先週金曜日から来ている。国語は3人。そのうちの二人が授業を見たいといって、国語総合の時間にやってきた。他の先生の授業を見せていただくことはあっても、自分が見せることになるとは、思っておらず、新鮮な体験。

1年生の国語総合での僕の授業は、質問紙の話(前の時間の振り返り)・百人一首を1首紹介し暗誦・本の紹介・テキスト教材・質問紙を書く(その時間のまとめ)という構成で、他の先生とは全く違うスタイルなので、二人ともビックリしていた。決して参考にして良いスタイルではないと思う。50分をいくつかのブロックに分けてその都度集中してもらいたい、という意図で行っている。学習の対象があちこち飛ぶので教科書の進度が遅くなるのが問題点。共通の中間考査の結果でも、それが要因かと思われる点数が出てしまったので、少し考えないといけない。

朝の一人あいさつ運動は4月から今のところ毎日続いている。落選した議員候補のようだとからかわれたりもするが、まぁ生徒の反応は明らかに良くなってきているので、これからも続けたい。なにせ生徒数が多すぎるので、よっぽど頑張らないと名前どころか顔すらも分からない。今週あたりから、多少与太話もできるようになってきたので、1学期中にもう少し関係も変わってくると思う。

朝のあいさつで声かけをしていて思うこと。同じように「おはよう」といっているつもりでも、あいさつが返ってくる日と、まるで帰ってこない日がある。こういう場面でよく生徒が悪いと思いたくなるけれども、決して生徒のせいではない。僕の気持ちやコンディションが声の大きさやハリやトーンや、表情や雰囲気に表れて、届かないのだ、と思うようになった。目を見てはっきり声をかければ大抵の生徒は、自分に言われた、と気付いて返事をしてくれる。だめなときは、こちらが散漫で、なんとなく目の前にいる大勢に声をかけているのだ。

明日の授業の質問紙の回答も終わっていないのだけれど、そんなことを考えつつもう寝ます。