大岡昇平「手」

この物体は「食べてもいいよ。」といった魂とは、別のものである。
私はまず死体を蔽った蛭を除けることから始めた。上膊部の緑色の皮膚(この時、私が彼に「許された」部分から始めたところに、私の感傷の名残を認める)が、二、三寸露出した。私は右手で剣を抜いた。
私はだれも見てはいないことを、もう一度確かめた。
その時変なことが起こった。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである。

高校生のための文章読本

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