今日の短編(48) 森鴎外「妄想」

「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」石川啄木にこんな歌がある。これが天命かどうかは分からないけれども頑張ってみる。がむしゃらに脇目も降らず夢中に一生懸命にななんてうまくは行かないけれども、やってみる。頑張ってみる。そうすることが将来の自分のために貯蓄になる。いつかこれが「こころよく我に働く仕事」になるんじゃないか。そんな風に考えている。

森鴎外「妄想」

生まれてから今日まで、自分は何をしているか。始終何者かに策*1うたれ駆られているように学問と言うことに齷齪*2している。これは自分に或る働きが出来るように、自分を為上げるだと思っている。その目的は幾分か達せられるかも知れない。しかし自分のしている事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めているに過ぎないように感ぜられる。その勤めている役の背後*3に、別に何者かが存在していなくてはならないように感ぜられる。策うたれ駆られてばかりいる為めに、その何者かが醒覚する暇がないように感ぜられる。勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生というのが、皆その役である。赤く黒く塗られている顔をいつか洗って、一寸舞台から降りて、静かに自分というものを考えて見たい。背後*4の何者かの面目を覗いて見たいと思い思いしながら、舞台監督の鞭を背中に受けて、役から役を勤め続けている。この役が即ち生だとは考えられない。背後*5にある或る物が真の生ではあるまいかと思われる。しかもその或る物は目を醒まそう醒まそうと思いながら、又してはうとうとして眠ってしまう。この頃折々切実に感ずる故郷の恋しさなんぞも、浮草が波に揺られて遠い処へ行って浮いているのに、どうかするとその揺れるのが根に響くような感じであるが、これは舞台でしている役の感じではない。しかしそんな感じは、一寸頭を挙げるかと思うと、直ぐに引っ込んでしまう。

譬えば道を行く人の顔を辻に立って冷澹に見るように見たのである。
冷澹には見ていたが、自分は辻に立っていて、度々帽を脱いだ。昔の人にも今の人にも、敬意を表すべき人が大勢あったのである。
帽は脱いだが、辻を離れてどの人かの跡に附いて行こうとは思わなかった。多くの師には逢ったが、一人の主には逢わなかったのである。

山椒大夫・高瀬舟 (新潮文庫)

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 所収

*1:むち

*2:あくせく

*3:うしろ

*4:うしろ

*5:うしろ