今日の短編(29) 吉本ばなな「小さな闇」

「当たり前の、ごく普通の、どこにでもいるような」と思って安心してしまうことが多いけれども、本当は普通なんていうのはない。誰もが、年齢の分だけ時間をコツコツと重ねた結果、今、そこにいる。良かったことも嫌だったことも楽しかったことも悲しかったことも全部飲み込んでそこにいる。人がその内側に何を隠しているか、僕らは外側からそれを想像することしかできない。

吉本ばなな「小さな闇」

「今も、時々あの家で目覚める夢を見ることがある。体を丸めて、がさがさしたダンボールの感触を感じて、小さな窓から細く陽が入ってきて、おばあちゃんの、私のお母さんが描いた紫の花柄を照らし、絵の具のにおいがして、それから、お味噌汁の匂い。おばあちゃんの立てる楽しそうな、活気のある物音。おじいちゃんが来るのを待っていた時のようだった。そして、私はそこから、出ようとしても出ることができない。出てしまって、金切り声でおばあちゃんが泣くのが怖かった。私はその中で一日中じっとしている。体を丸めて、じっと……。」

「だから、お父さんが帰ってこない時、お母さんの世界はあそこに帰って行ってしまうことがある。この時間は永遠に続くという気がしてしまう。愛されているからわざとその時間の中に閉じ込められているというのはわかるけれど、苦しくてたまらなくなる。」

不倫と南米―世界の旅〈3〉 (幻冬舎文庫)

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所収。