今日の短編(27) 吉本ばなな「最後の日」

なにか大きなものというか、存在というか、仕組みというか、人間の考える善悪などは超越したものがこの世の中にはあって、その冷徹な目で我々の日常が観察されているような。ある一瞬に感じた思いや気持ちを十分にあらわすことは難しいし、足りていないなという思いにかられるしかないのだけれど、それでも言葉を費やさなければ形には残らない。
吉本ばなな「最後の日」

私にとって一日とはいつも、のびちぢみする大きなゴムボールみたいなもので、その中にいるとたまになにかをふと眺めている時、なんの脈略もなく突然、蜜のように甘く、豊潤な瞬間がやってくることがあった。永遠に続きそうな、うっとりするような感じ……その美しさを感じると、私は見とれてしまい、いつまでも全身でそれを味わっていたいと思う。

いつも土曜の朝にその人が帰って行くと、朝の光の中でほこりの細かい粒子がちらちら輝いて漂っていくのをじっと見ながら私は思った。さっきまで同じ味のコーヒーを飲んで、同じ皿の卵焼きの味付けについて語り合っていたのに、もういない。まださっきかけたCDが終わっていないのに、もう連絡をとることもできない。これでは、死とそんなに変わりない。そう思った。あの淋しさのいやな質感は、私に全く合わなかった。そんな時はしばらくピアソラの強引な音の流れに耳を傾けていると、時間は私のもとに帰ってきて、やっと私は私の土曜日をはじめることができたが、すごく無理のあるがんばり方だった。

いろいろなことがあって、心は少し暗く、少し淋しかったり空しかったりした。しかし目に映るものは、その心模様をはるかに上回るダイナミックな動き……そんな時に私はいつも、なにか大きなものに抱かれているような気がして、心が真っ白になる。
充足。その言葉しかそれをあらわす手段は今のところ、ない。

私が先に、たとえば今日死んでいたら、彼は、二人で住み慣れたあの部屋に暮らし続けることになるのだろう。彼は、私の気配が全体にしみ込んだあのリビングで、毎日、朝のコーヒーを淹れるのだろう。二人分ではなくひとり分。あの大きな手でスプーンを持って、いつも夫はコーヒーの粉を、冷凍庫から出したビンの中からフィルターに入れる。その様子を映画の画面を観るように想像した。私がおいしいと言うので、夫はいつも自分でコーヒーを淹れてくれる。でも、私がいなくなったら、言葉も発さず、誰もほめてくれないのに、おいしいコーヒーを、あの部屋であの光の中で、大きな音で音楽を聴きながら淹れるのだろう。

不倫と南米―世界の旅〈3〉 (幻冬舎文庫)

不倫と南米―世界の旅〈3〉 (幻冬舎文庫)

所収。