短編小説

今日の短編(80) 堀江敏幸「イラクサの庭」

闇のなかを寝ずに走りつづけて戻って来られた安堵、息子を取り戻した安堵にひたるまもなく、すぐに仕事へむかおうとする母親の姿は、立派だと思う。でも、わたしなら、仕事はいったん休んで、ひと晩、雨の泥炭地を抜けてきた子どもに、なにか食べものをつく…

今日の短編(79) 堀江敏幸「スタンス・ドット」

スタンス・ドットとはボーリングで立ち位置の目安にする床の印のこと。アプローチ・ドットとも。このスタンス・ドットとファールライン手前のリリース・ドット、レーンの中にあるガイドを目安にボールコントロールをするのだという。これまでなんとなく目安…

今日の短編(78) デイヴィッド・ベズモーズギス「マッサージ療法士ロマン・バーマン」

子ども達の方が順応が早いことは多い。今住んでいるこの場所は、僕と妻にとって越して3年目のまだそれほどは馴染めていない土地であるが、子ども達にとってはこの3年で故郷とほぼ同義になったといえるだろう。 生まれ育った国を離れ、慣れ親しんだ言葉も通じ…

今日の短編(77) レイモンド・カーヴァー「菓子袋」

レイモンド・カーヴァー「菓子袋」 (Snacks by Raymond Carver) 親子の関係はどこで逆転してしまうのだろう。父親の告白に、特になんの感慨も持たない息子。彼もきっといつか同じ思いを抱くのだろう。 「聴いてくれよ」と父は言った。「お前の飛行機は何時に…

今日の短編(76) レイモンド・カーヴァー「私にはどんな小さなものも見えた」

レイモンド・カーヴァー「私にはどんな小さなものも見えた」 (I Could See The Smallest Things by Raymond Carver) やりつづけていないと、どうしようもないことになってしまうことって、どんなことがあるだろう。大多数の人にとっては真夜中に隣家の木戸を…

今日の短編(75) レイモンド・カーヴァー「ガゼボ」

レイモンド・カーヴァー「ガゼボ」 (Gazebo by Raymond Carver) 最初の一歩は小さいものだったのかもしれないが、その一歩が絶望につながる。 「私の中で何かが死んでしまったのよ」と彼女は言う。「それには長い時間がかかったわ。でもとにかく死んでしまっ…

今日の短編(74) レイモンド・カーヴァー「ミスター・コーヒーとミスター修理屋」

その立場になってみてはじめて分かることもある。良いことも悪いこともいろいろ経験していくものだけれども、出来れば、悪いこととはあんまり出くわさずにおきたいものだな、と思う。 レイモンド・カーヴァー「ミスター・コーヒーとミスター修理屋」 (Mr. Co…

今日の短編(73) レイモンド・カーヴァー「ファインダー」

両手がない男が家の写真を売りつけようとある男の家を訪ねる。それだけでもクエスチョンマークがいくつか頭の上に点灯しそうなシチュエーション。訊ねていった先の男もまたどこかずれた感じの中年男。シリアスに考えると恐いんだけど、そこは直視しないで、…

今日の短編(72) レイモンド・カーヴァー「ダンスしないか?」

なにもかも嫌になっちゃって、どうだっていいだよ、本当は。もう、まったく。と時々僕らを襲う上手く言葉にできない感情のニュアンスが漂っている。うっすらとしたユーモアと一緒に。そんな気がする作品。もやもやしたものを説明するのに、そのものは上手く…

今日の短編(71) 「カワウソ」

読まずに大事に取って置いたゲド戦記外伝所収の中篇。ロークの魔法学園が如何にして設立されたのか。「ゲド戦記」が始まる300年ほど昔の物語。ゲド戦記の世界では、全てのものが真の名前を持っている。普段は通り名を名乗り新の名は隠して生活している。人で…

今日の短編(70) よしもとばなな「デッドエンドの思い出」

当たり前だと思っていたこと、平凡だと思っていたこと、退屈な繰り返しだと思っていたことを、繰り返し、繰り返し、繰り返す、幸せ。 「私は、のび太くんとドラえもんを思い出すな。」 私は言った。 「なんだよ、漫画の話じゃないか。」 西山君は言った。 「…

今日の短編(69) よしもとばなな「ともちゃんの幸せ」

じっと見ている。ただ、見ている。そしてちっぽけな存在として自分が在ることを何かが許してくれる。と思えると生きるのが楽になる。それが、いわゆる宗教というものなのか、なんとか学というものなのか。それは人それぞれなんだろうけれども。 いずれにして…

今日の短編(68) よしもとばなな「あったかくなんかない」

ただ、見る。そのままを、感じる。ありのままを、認める。簡単にできることじゃない。いつ水が出てくるかわからない井戸を掘っていくような、どこまで続いているのかわからぬ岩のほこらを穿つような。誰かと一緒にできることじゃない。と思っていたけれども…

今日の短編(67) よしもとばなな「おかあさーん!」

心細くて、寂しくて、元気がなくて、勢いを失って、体のどこからも力が湧いてこない。何気ない一言に傷ついたり、当り散らしたり。そんなネガティブな袋小路に突き当たりそうになったとき、無条件の無私の母の愛に包まれていたことに気がつけるのかもしれな…

今日の短編(66) 藤沢周平「祝い人助八」

「祝い人(ほいと)」、物乞いのことで身なりが汚いので「祝い人助八」と呼ばれるようになった男の話。周りが見えなくなると、身なりや家のことにお構いなしになるのはいつの世も同じことで、気になる異性ができると、それに急に気がついたりするのもこれま…

今日の短編(65) よしもとばなな「幽霊の家」

彼女の文章には、辞書を引かなければ意味がわからないような難しい言葉は(多分、ほとんど)登場しない。僕らが普段、話したり、書いたりしているのと同じその言葉たちが、とても素敵なイメージを、感情を、思い出を呼び起こす。「あ、そうだよね」とすっと…

今日の短編(64) 藤沢周平「日和見与次郎」

甘酸っぱい思い出が最後は切ない。 藤沢周平「日和見与次郎」 「丹羽派も畑中派もおれにはかかわりがない。性分で、徒党を組むのは好かぬ」 「みんなにそう言って、日和見与次郎などと言われているらしいが……」 三宅は、口吻にわずかに威嚇する気配をつけ加…

今日の短編(63) 藤沢周平「かが泣き半平」

愚痴っぽい人やすぐに文句をいう人って、一寸損をしている。狼少年と一緒で、「また言ってら」と思われちゃったら、もう話を聞いてもらえていない。無用心で尻尾握られちゃって、おっちょこちょいだなと、幾分からかいの目で読んでいると、やるところではき…

今日の短編(62) 藤沢周平「だんまり弥助」

つい口が過ぎて後で悔やむことが多い。年を取れば分別がついて、そういうことも減るかと思っていたけれども、まったくそんなことはない。30いくつで分別がつくかどうかという問題もあるけれども。見栄を張ったり、自分を大きく見せようとしたり、誰かを小さ…

今日の短編(61) 藤沢周平「ど忘れ万六」

ほら、あの、あれだよ、あれ。喉元まで出掛かっているのだけれどもど忘れして名前が出てこない。たまにある。しばらくぶりにあって「先生、おぼえてますか?」なんて試されると、名前を思い出せるまで、ものすごくドキドキしてしまう。万六のとぼけ具合が、…

今日の短編(60)トルーマン・カポーティ「感謝祭のお客」

一日がスタートする朝食を抜いて、昼はさくっと、で、夕食が一日で一番立派な食事に、なんてことが社会人になってから何年も続いていた。回りを見ても結構そんな風な人が多かった。でも実際のところ、夕食のあとはたいしてカロリーは使わないで眠るだけなん…

今日の短編(59) トルーマン・カポーティ「ぼくにだって言いぶんがある」

大真面目なんだけれども、なんだかこっけい。馬鹿にしたい感じじゃなくて。 トルーマン・カポーティ「ぼくにだって言いぶんがある」(My Side of the Matter by Truman Capote) みんながぼくのことをなんといっているか、そんなことはよくわかっている。ぼく…

今日の短編(58) 藤沢周平「ごますり甚内」

今回とみに映像が浮かんでくる描写が多かったような気がします。 甚内は中背で、みた眼にはやや貧弱に思われるほどの細い身体をしている。だが、問題は体躯ではなくて顔にあるだろう。甚内はひと口に言えば、醜男である。出額で、眼が大きく口も大きかった。…

今日の短編(57) トルーマン・カポーティ「銀の壜」

トルーマン・カポーティ「銀の壜」(Jug of Silver by Truman Capote) アップルシードとその妹がはじめて姿を現したのは、そのころだった。 彼は町では他所者だった。少なくとも彼の顔を見たことを覚えている人間は誰もいなかった。自分はインディアン・ブラ…

今日の短編(56) 藤沢周平「うらなり与右衛門」

赤ん坊や子どもたちを見て、ここが自分に似ている、ここは妻に似ている、祖父に、祖母にと良く話をする。みんな能ある鷹は難とやらだとよいのだけれど。 藤沢周平「うらなり与右衛門」 「顔の長いのは、わしに似たのだ」 と父親の次郎兵衛が言った。 「しか…

今日の短編(55) トルーマン・カポーティ「誕生日の子どもたち」

トルーマン・カポーティ「誕生日の子どもたち」(Childlen on Their Birthday by Truman Capote) 昨日の午後、六時のバスが、ミス・ボビットを轢き殺した。それについてはどんな感想をいったらいいかぼくにはわからない。結局、彼女もまだ十歳の女の子だった…

今日の短編(54) 川上弘美「長い夜の紅茶」

平凡。ひとくくりにしてはみても、それぞれのあり方は千差万別。 「男なんかと一緒にいて、女が幸せになるものなのかしらと思ってさ」 平凡。わたしはまたその言葉を思う。この夏には、きっとわたしたち家族は二泊くらいで、山か海に行くことだろう。由香里…

今日の短編(53) 石田衣良「恋の主役」

男だから、女だから、ということもないとは思うのだけれども、がしかし、そういうものかもしれない。 なぜ男はわからないのだろう。あなたは考える。一度ほんとうにダメになってしまったら、もうやり直しはきかないのだ。あなたは表情を変えずに、最後のデー…

今日の短編(52) 藤沢周平「たそがれ清兵衛」

先日映画の一部分を見る機会があった。随分違うようで、映画も見たい、と思った。 藤沢周平「たそがれ清兵衛」 「おまえさま、雪が降るまでには、すっかり元気になるかも知れませんよ。はやく、ご飯の支度をしてさし上げたい」 たそがれ清兵衛 (新潮文庫)作…

今日の短編(51) トルーマン・カポーティ「無頭の鷹」

トルーマン・カポーティ「無頭の鷹」( The Headless Hawk by Truman Capote ) やがて彼は緑色のレインコートを着た女の子を見つけ出した。五十七丁目と三番街の角に立っている。そこに立って煙草を吸っている。何か歌を口ずさんでいる。レインコートは透明で…

今日の短編(50) トルーマン・カポーティ「最後の扉を閉めて」

逃げれば逃げるほど、敵は強く、大きく、恐ろしく見えるものだ。 自分に厳しくあることは、難しい。人間易きに流れるのは容易で、そこから流れをさかのぼっていくのは本当に困難だ。自分に優しく、人に厳しく生きていると、いずれ誰からも相手をされなくなる…

今日の短編(49) トルーマン・カポーティ「夢を売る女」

全てを欲しがる欲望は何を求めているのか判らない焦燥感がもたらすもの。 時と夢を燃料にメリーゴーランドのようにぐるぐるまわってどこにも行かず。 寒くて、淋しくて、やるせない。 トルーマン・カポーティ「夢を売る女」( Master Misary by Truman Capote…

今日の短編(48) 森鴎外「妄想」

「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」石川啄木にこんな歌がある。これが天命かどうかは分からないけれども頑張ってみる。がむしゃらに脇目も降らず夢中に一生懸命にななんてうまくは行かないけれども、やってみる。頑張ってみる…

今日の短編(47) トルーマン・カポーティ「夜の樹」

「闇にまぎれて生きる おれたちゃ・・・なのさ」なんて歌が昔あった。少女が出会ってしまった二人連れは、普通だったら交差しない向こう側に生きている人々だと思ったに違いない。しかし我々が思っているよりずっと近くに彼らは住んでいる。スティーヴン・キ…

今日の短編(46) トルーマン・カポーティ「ミリアム」

自分が世界とどこでつながっているか。本当につながっているのか。それは意識しないでいるとすぐに希薄になる。無いままに過ごしていると、無くしたことすら忘れてしまうものなのかもしれない。僕らにとっても彼女がいつか、そっと、現れる・・・。きっと。 …

今日の短編(45) 森鴎外「カズイスチカ」

タイトルの「カズイスチカ」(Casuistica)というのはラテン語で患者についての臨床記録という意味だそうだ。。 今やっていることは本当はやりたいことではないのだけれど、それが何なのかは良くわからない。という感覚は良くわかる。「とりあえず」「云々じ…

今日の短編(44) 森鴎外「普請中」

帰国した鴎外を追いかけて来日したドイツ人女性がいる。名はエリーゼ・ヴィーゲルト。小説「舞姫」に出てくるヒロインとほぼ同名の女性だ。授業ではそのことに触れないことが多い。実在のモデルがいるらしいと知ると、「舞姫」は森鴎外の経験談、ノンフィク…

今日の短編(43) 森鴎外「杯」

すっと背筋の通った毅然とした態度が目に浮かぶ。大勢に流されない確固とした自分を持っていたいものである。 森鴎外「杯」 第八の娘の、今まで結んでいた唇が、この時始て開かれた。 "MON. VERRE. N'EST. PAS. GRAND. MAIS. JE. BOIS. DANS. MON. VERRE" (…

今日の短編(42) レイモンド・カーヴァー「頼むから静かにしてくれ」

聞かずにいたほうが、知らずにいたほうが幸せなことが人生には訪れる。心の底にそのまた奥のほうにそっと隠しておいた方が良いのだろう。 レイモンド・カーヴァー「頼むから静かにしてくれ」(Will You Please Be Quiet, Please? by Raymond Carver) 人生は生…

今日の短編(41) レイモンド・カーヴァー「合図をしたら」

日常のちょっとした「ずれ」が積もり積もって気が付くと二人の間に大きな隔たりをもたらしている。すごく我慢してるんだろうなぁ。この男性。 レイモンド・カーヴァー「合図をしたら」(Signals by Raymond Carver) 「我々はこういう機会をもっとちょくちょく…

今日の短編(40) レイモンド・カーヴァー「何か用かい?」

言い訳ばかりの男は情けない。言葉を費やせば費やすだけ、真実は離れていく。 レイモンド・カーヴァー「何か用かい?」 (What Is It ? by Raymond Carver) 「また風向きも変わるさ!」と彼は声をかける。彼女はもう車寄せのところに行っている。「月曜からま…

今日の短編(39) レイモンド・カーヴァー「自転車と筋肉と煙草」

きっと忘れない、と思っていても年月とともに薄れていく記憶がある。小さな頃にはあんなに鮮明だったのに、一体あの思い出はどこに消えてしまったのだろう。脳みその小箱のどこかにまだ入っているのだろうか。 父親が父性を公共の場で示せる機会と言うのはぐ…

今日の短編(38) レイモンド・カーヴァー「こういうのはどう?」

田舎暮らしに対する漠然とした憧れは、漠然としたまま胸のうちにしまっておいたほうが良いことが多い。毎日の生活を淡々と、ストイックなまでに繰り返していける人だけが享受できるものなのかもしれない。 それはさておき、それがなんなのか漠然としすぎてわ…

今日の短編(37) レイモンド・カーヴァー「鴨」

レイモンド・カーヴァー「鴨」 (The Ducks by Raymond Carver) 死を間近に感じることは、今の僕らの生活ではほとんどないけれども、それでも、そのことを考えるというか、感じる気持ちは忘れちゃいけないよな、と思う。メメント・モリ。 「僕も同じことをみ…

今日の短編(36) レイモンド・カーヴァー「嘘つき」

それは結構、根本的な問題ななんじゃないでしょうか。ある秋の夕暮れ、家の隣の、当時はまだ原っぱだった背の高い草むらで赤とんぼを捕まえたことがあった。学校で友達にきいたように胴体にタコ糸を結んで飛ばしたいと思ったのだけれど上手にできない。何度…

今日の短編(35) レイモンド・カーヴァー「ジェリーとモリーとサム」

なんにでも応用可能な感嘆符。「酒! 泪! 男と女!」ってこれじゃ河島英五ですね。絶望や希望やなんやかやがごっちゃになっていて当人にも良くわかっていない感じが伝わってくる。情けないながらもそこはかとないユーモアも感じらるダメ父さんがどこか愛し…

今日の短編(34) 吉本ばなな「窓の外」

荒々しい、南米のむき出しの生命みたいなものを、文章の向こう側に感じた。泥色の濁流がしぶきを上げている写真が挿入されているのが大きいのかもしれない。イグアスの滝といえば、何年か前村上龍の「パラグアイのオムライス」を読んだ。あれも印象深い短編…

不倫と南米 世界の旅 (3)

不倫と南米―世界の旅〈3〉 (幻冬舎文庫)作者: 吉本ばなな出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2003/08メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 10回この商品を含むブログ (32件) を見る住み慣れた場所を離れて、非日常の世界に立つことで見えてくるものがある。それは…

今日の短編(33) 吉本ばなな「日時計」

吉本ばなな「日時計」 人生はたくさんの事件の連続で、愛する人になにが起ころうとまわりはじいっと見ているしかない。 不倫と南米―世界の旅〈3〉 (幻冬舎文庫)作者: 吉本ばなな出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2003/08メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 10…

今日の短編(32) レイモンド・カーヴァー「他人の身になってみること」

学生時代、友人の下宿に1週間も2週間も泊り込んでいたことを思い出した。帰省した友人宅に居ついて、新聞だったか水道料金だか、払ったこともあったなあ。皆で飲んで大騒ぎして、どこだかから持ってきた薬用ドリンクの大きな看板が玄関前に飾ってあった。…