散文

小林秀雄全作品から(14)「ゴッホの墓」

昭和30年(1955)3月、「朝日新聞」に発表 その灰色は、雪との対照で、実に美しい灰色をしていて、見ていると色々な色がチラチラ見えて来る様であった。

小林秀雄全作品から(13)「ピラミッド Ⅰ」

昭和30年(1955)1月、「朝日新聞」に発表 どんな綿密な歴史の研究も、目のあたり見た人はよく知っているあの歴史の魂に出会った様な感動を現す事は出来まい。 「昨日である私が、また明日を知る私。人の心は不思議なる哉」

小林秀雄全作品から(12)「鉄斎Ⅲ」

昭和30年(1955)1月、「現代日本美術全集」第1巻に発表 岩とか樹木とか流木とかを現そうと動いている線が、いつの間にか化けて、何物も現さない。特定の物象とは何んの関係もない線となり、絵全体の遠近感とか重量感とかを組織する上では不可欠な力学的な線と…

小林秀雄全作品から(11)「栗の樹」

小学校までは徒歩7,8分、中学校も15分はかからないところだった。毎日、毎日、毎日通っていたのももう随分昔のことで、あの道を歩いたことはずっとない。通学路の景色を思い出しながら、また歩いてみたい気持ちになった。 昭和29年(1954)11月、「朝日新聞…

小林秀雄全作品から(10)「ゴルフ随筆」

このべらんめえな感じがちゃきちゃきの江戸弁というものなんだろうか。落語をきいているような、そんな気分になる。 昭和29年(1954)10月、「小説新潮」に発表 もともと、今ちゃんには買い物の癖があるのだが、こういう次第になると、いよいよこの癖がつのり…

V・ウルフ「私ひとりの部屋」

封建的な日本の家父長制度の中にも同じものを見ることが出来る。「おい」「めし」「ふろ」で全てが通用していたというのは、今となってはにわかに信じ難いものである。 V・ウルフ「私ひとりの部屋」 高校生のための文章読本 より 女性は過去何世紀もの間、…

加藤周一「スペイン旅情」

10年ほど前に妻とヴェネツィアに行った時のこと。その直前までパリに数日滞在していて、パリではレストランやカフェに行くと、日本語はもちろん通用しないし、英語も(もともと頓珍漢なんだけれど)、片言でもフランス語じゃないとやーだもーん、と思ってい…

(手帳6)メモと描写

ブログの文章は、直ぐに忘れてしまいそうな些細なことや、日々の思いつきのメモや備忘録や読んだり見たり聞いたり思ったことの記録のストックのようなものだと思う。自分のためには勿論なるし、誰かの役にたったりすればそれは素晴らしいことだろう。そんな…

小林秀雄全作品から(9)「ボオドレエルと私」

昭和29年(1954)4月、「ボオドレエル全集」内容見本に発表 ボロボロになるまで愛読した本なんてこれまであっただろうか。小学生の頃は江戸川乱歩の少年探偵団シリーズと、南洋一郎翻訳の「怪盗ルパン」全集がとても好きだった。中学に入ってから栗本薫の「グ…

J・L・ボルヘス「砂の本」

J・L・ボルヘス「砂の本」 高校生のための文章読本 より 「あるはずがない、しかしあるのです。この本のページは、まさしく無限です。どのページも最初ではなく、また、最後でもない。なぜこんなでたらめの数字がうたれているのか分からない。多分、無限の…

埴谷雄高「神の白い顔」

埴谷雄高「神の白い顔」 高校生のための文章読本 より そのとき、鏡の内部へはいりこんだような浮遊物も見当たらぬ透明な水中で平らな水面へ向かって垂直に仰向けになった私の視界いっぱいに映ったのは、思いがけぬことに、それまでまったく覚え知らなかった…

清水邦夫「部屋」

清水邦夫「部屋」 高校生のための文章読本 より 昔の家には、ふだん「使わない部屋」があった。 高校生のための文章読本作者: 梅田卓夫,清水良典,服部左右一,松川由博出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1986/03メディア: 単行本購入: 13人 クリック: 149回こ…

坂口安吾「私は海をだきしめていたい」

坂口安吾「私は海をだきしめていたい」 高校生のための文章読本 より 私の心はただ貪欲な鬼であった。いつも、ただ、こう呟いていた。どうして、なにもかも、こう、退屈なんだ。なんて、やりきれない虚しさだろう。 私はふと、大きな、身の丈の何倍もある波…

M・プルースト「現実の存在」

M・プルースト「現実の存在」 高校生のための文章読本より 眩いばかりの雪と隣あっている時には、あれほど黒々と静まり返っている唐松の森が、淡青の、ほとんど薄紫の湖水に、快い艶を帯びた緑の枝を差し伸べていた。 あの年、ぼくは貴方に一度も話す機会も…

小林秀雄全作品から(8)「批評について」

昭和29年(1954年)6月「NHK教養大学」に発表 強い好奇心を持っている限り濫読というものは害はないと思う。 一と口に言えば、形式尊重の時期を経て、個性尊重の時が現れるに至って、批評は、作品の背後に人間を見る様になった。それまで一様な形式のなかで…

(手帳5)本当の発見とは

(手帳5)本当の発見とは 高校生のための文章読本 より だが、実際は違うのだ。手にペンを持って言葉を紙に書きつけるまで、書こうとする内容などは何も見えてこない。少なくとも、口の中でひとりごとのように言葉を言ってみるまでは、自分が何を書こうとし…

R・バルト「箸」

R・バルト「箸」 高校生のための文章読本 より 箸は、食べものを皿から口へと運ぶ以外に、おびただしい機能をもっていて(単に口へと運ぶだけなら、箸はいちばん不適合である。そのためなら、指とフォークが機能的である)、そのおびただしさこそが、箸本来…

K・ローレンツ「本能の大議会」

K・ローレンツ「本能の大議会」 高校生のための文章読本 より ここでかんたんな例になると思われるのは攻撃の衝動と逃走の衝動の間のかっとうにおちいっているイヌに見られる顔面筋の動きだ。 高校生のための文章読本作者: 梅田卓夫,清水良典,服部左右一,松…

小林秀雄「人形」

齋藤孝さんの著作の中で紹介されていたのをきっかけに授業でもたまに使っている。一瞬でぐっと不思議な世界に連れていかれる。 小林秀雄「人形」 高校生のための文章読本 より もはや、明らかなことである。人形は息子に違いない。 高校生のための文章読本作…

石垣りん「はなよめ」

結婚式前日に散髪に行った。以前のお向かいさんがやっている床屋だ。小学校の終わりか中学入りたてくらいから高校を卒業するまでの6、7年間定期的に切ってもらっていた。大学に入ったころから、次第に足が遠のいて切ってもらうのは、数年ぶりだった。「久…

土門拳「走る仏像」

土門拳「走る仏像」 無我夢中で一枚シャッターを切った。たった一枚。そしてもう一枚と思って、レリーズを握った私は、シャッターを切るのをやめた。さっきまで金色にかがやいていた茜雲は、どす黒い紫色になり、鳳凰堂そのものも闇の中に姿を消していたから…

H・ファーブル「短刀の三刺し」

H・ファーブル「短刀の三刺し」 高校生のための文章読本 より 蜂はこおろぎの胴の先に出ている糸を一本大顎でつかみ、前肢で相手の太い後肢をじたばたしないように抑える。同時に中肢で敗者の太息をついている横腹をしめつけ、後肢を二本の梃子のように顔に…

(手帳4)もう一人の自分

(手帳4)もう一人の自分 「高校生のための文章読本」より 「もう一人の自分」を見つめようとする時、わたしたちはある種のいらだちを覚える。それは自分の姿や声をじかに見たり聞いたりすることができない時のいらだちに似ている。 では、わたしたちが、青…

大岡昇平「手」

大岡昇平「手」「高校生のための文章読本」より この物体は「食べてもいいよ。」といった魂とは、別のものである。 私はまず死体を蔽った蛭を除けることから始めた。上膊部の緑色の皮膚(この時、私が彼に「許された」部分から始めたところに、私の感傷の名…

吉原幸子「人形嫌い」

吉原幸子「人形嫌い」「高校生のための文章読本」より 幼いころから、私は人形遊びをしたことがない。動物ならまだしも、あの女の子の姿をした人形を女の子がもったいらしいふけた表情で抱いている光景は、何かグロテスクで近寄難かった。 人形を可愛がるほ…

魯迅「傷逝」

魯迅「傷逝」 「高校生のための文章読本」より あのとき私が、どんなやり方で、私の純粋にして熱烈な愛情を彼女に伝えたものか、今はもう覚えていない。今どころか、あのときの直後にはもうボンヤリしてしまって、夜になって思い出そうとしても、いくらかの…

金子光晴「日本人の悲劇」

金子光晴「日本人の悲劇」 「高校生のための文章読本」より 僕のながい生涯で、この瞬間ほどはっきりと日本人をみたことはなかったのです。人間に対するいやらしさが、日本人のいやらしさの限りとして、同時に浮かびあがり、しられたくないあさましい記憶が…

三善晃「もしかして」

三善晃「もしかして」 「高校生のための文章読本」より このときの「もしか」は反射的でなかった。「もしか」の息のつまりそうな苦しさは、とても長く続いたように思う。だが私は、いつ、どうして桶を手にしたか、覚えていない。ただ、祖母の顔にかぶせた桶…

小林秀雄全作品から(7) 「ことばの力」

「ことばの力」昭和31年(1956)2月「子どもとことば」に発表 どこの国の子どもでも、まず数学の記号を覚えてから、数をかぞえやしない。ことばによって数をかぞえて育つのである。この子どもの時のやりかたを、人間は、同じ言葉を使っている限り、大人になっ…

(手帳3)ことばで遊ぶ

大学時代、課題で言葉遊びの作品を作るというのがあった。「倉田が往復ビンタをくらった」「北野が来たのー」という親父ギャク以前の稚拙なものを提出日に50ばかしでっち上げて提出した。先生のコメントに「もうすこしひねりましょう。例 夫「貧乏暮らしに…